金胎寺—射水市/高野山真言宗
住職、志村慧雲さん 波乱の経験生かし恩返し いじめや病気、離婚など乗り越え /富山
「いろんな人の気持ち分かる」
米国人を父に持つ僧侶が住職を務める寺が射水市にある。いじめや病気、離婚などを乗り越え、約6年前に700年以上続く金胎寺にやってきた志村慧雲さん(55)。「失敗ばかりの人生だったからこそ、いろんな境遇の人の気持ちが分かる」と今日も地域住民の相談に耳を傾ける。
青森県の米軍三沢基地でパイロットだったインド系米国人の父と日本人の母の下に生まれ、同県八戸市で育った。小学校の頃、浅黒い肌から「ちびくろサンボ」といじめられた。「変えることができないことをからかうのは寂しいことだ」との担任の言葉に救われた。
中学から陸上競技に打ち込み、特待生として東洋大に進学。三段跳びで全国優勝したものの「卵焼きの食べ方が悪い」と先輩から因縁をつけられ殴られたこともあった。
卒業後は母校の陸上競技部監督を経て、健康関連の会社を設立。成功を収め、年収が一時5000万円を超え、ベンツを乗り回した時期もあった。
1年の3分の2は接待。ある日、ストレスや過労から潰瘍性大腸炎を発症し倒れた。次第にすれ違いが多くなった妻は離婚を宣告。会社も不況のあおりを受けて畳まざるを得なくなった。
「自分の経験が誰にも受け継がれずに死ぬのだろうか。最後の自分の命をどう使うべきか」。悩んだ末の結論は仏教だった。「お坊さんなら自分の人生経験を生かして世の役に立てる」
40代に入ってから徐々に勉強を始め2007年に高野山真言宗の門をたたいた。修行を重ね僧侶の資格を取得。後継者のいない寺を紹介する制度を通して、住宅街の一角にたたずむ金胎寺にやってきた。
いじめを受けている子どもから悩みを抱える経営者まで寺にはさまざまな人が相談に訪れる。そんな時に波乱に満ちた人生が生きるという。廃寺に近かった寺を立て直し檀家(だんか)は当初の4倍に。
「嫌な思いも多かったが、育ててくれたのも日本人。助けてくれた人たちに恩返しをしたい」と満面の笑みを見せた。
若者に伝える「生き抜いて」 いじめに悩んだハーフの住職
2014年8月28日(木)05:0
(中日新聞プラス)
射水・金胎寺S_chuplusck2014082802000034_3
『火渡り神事で知られる射水市戸破の真言宗金胎(こんたい)寺で、二年半前から米国人の父と日本人の母を持つハーフの志村慧雲(けいうん)さん(51)が住職を務めている。陸上の選手・監督、実業家として成功しながら、四十歳を目前に仏門へ。幼少期から容姿への中傷で苦しんだ体験もあり、「いじめのない社会を」と呼び掛けている。(青木孝行)
志村さんは青森県の三沢市で生まれ、八戸市で育った。幼いころから肌が浅黒く、髪の毛はちりちり。その容姿をからかうように、小学生時代から言葉の暴力を受けるなどいじめにあっていたという。
子どもながらに「日本でどうやって生きていけばいいのか」と志村さんは真剣に思い悩み、時には「死にたい」と思い詰めたこともあったと振り返る。
一方で、陸上競技で才能が開花。進学した東洋大では三段跳びの選手として活躍。同大陸上部短距離・フィールド部門の監督も務めた。その後、スポーツ施設の会社経営で成功を収めた時期も。
その志村さんが仏門に入ったのは四十歳を目前にしたころ。「これまで多くの人に支えられてきた。その恩返しをする番ではないか」と思い立ち、仏道の修行を始めた。高野山での修行をへて、二年半前に金胎寺の住職に就いた。
若者たちに向けて志村さんは「職人といわれるように一つの仕事を貫く人生もあるが、自己責任で自分の長所を生かしていろんな職業を経験する人生もいい」と、自分の経験を重ねて強調する。
「一度きりの人生。いじめなどがあっても、若者には命を大切に生き抜いてほしい。悩みがあったら宗派を問わず/p> を訪れて。無料相談に乗ります」と、おおらかに話している。 』 いじめられた実体験の有る和尚さんだからこそいじめられている人の痛みも苦しさも良く理解出来ると思います。 「一度きりの人生。いじめなどがあっても、若者には命を大切に生き抜いてほしい。』は、名言です。