曹洞宗 崇福寺(東京都葛飾区)
季節の花と緑に彩られた四百年の歴史ある名刹。
慶長18年(1613年)上野厩橋藩(前橋城主)酒井雅楽頭忠世(さかいうたのかみただよ)の帰依により堂舎を建立し、国府台の総寧寺(そうねいじ)を本寺とし名称を崇福寺としました。1657年、明暦の大火にて焼失した為、忠世の孫酒井忠清(さかいただきよ)の代に、浅草松清町(現在の浅草郵便局)に1300坪の土地を拝領し移転、本堂を再建しました。以来酒井家の江戸の菩提寺として永く栄えました。その為酒井家の家紋である「剣鳩酸草(けんかたばみ)」を寺の紋として使用しています。
酒井家は徳川氏の最古参の譜代筆頭で、徳川幕府の大老四家の一つに数えられ、一族から大老や老中を輩出し、代々雅楽頭を任じられていました。また江戸城大手門付近の酒井家上屋敷の中庭には平将門公の首塚があり酒井家により手厚く祀られ、崇福寺の住職も首塚に供養に出向いていました。
大正12年9月の関東大震災にて被災し、昭和3年6月浅草よりここ高砂に移転、同8年本堂・山門・鐘楼等を再建しました。
酒井雅楽頭歴代の墓所は群馬県前橋市の龍海院にあり、ここ崇福寺は酒井雅楽頭家、伊勢崎藩酒井家の墓所となっております。