明治維新で活躍した人物が「七卿落(しちきょうおち)」列をはさんで次々と登場します。

桂小五郎(かつらこごろう)

後の木戸孝允。

西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と称せられた長州藩士です。

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西郷吉之助(さいごうきちのすけ)

後の西郷隆盛。

坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、江戸城の無血開城も果たした薩摩藩士です。

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坂本龍馬(さかもとりょうま)

薩長同盟の成立や、大政奉還の立役者となりました。

志半ばで暗殺されてしまいました。

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中岡慎太郎(なかおかしんたろう)

同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走しました。

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高杉晋作(たかすぎしんさく)

松下村塾に学んで久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称せられた長州藩士です。

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吉田松陰(よしだしょういん)

長州藩士。

萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文ら多くの秀才を教育しました。

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吉村寅太郎(よしむらとらたろう)

天誅組を率いて大和に挙兵した土佐藩士です。

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頼三樹三郎(らい みきさぶろう)

儒学者・頼山陽の子で、憂国のこころざし深く、同志と集って盛んに幕政の非を叫びました。

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梅田雲浜(うめだうんびん)

和漢の学に通じ、その徳をもって湖南塾を開き子弟を教え導いた小浜藩士です。

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橋本左内(はしもとさない)

福井藩士.

蘭学医学をおさめ、洋学にも通じて時勢に通じていたため、その才覚を認められて藩政に尽力しました。服装は旅姿となっています。

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近衛忠熈 (このえただひろ)

孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入りましたが、後に還俗して関白となりました。

ここでは関白の束帯姿で随身と舎人(とねり)を従えています。

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姉小路公知(あねがこうじきんとも)

三條実美とともに勤王派として奔走しました。

ここでは衣冠の参朝姿です。

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三條実萬(さんじょうさねつむ)

1824年(文政7)に権大納言、1857年(安政4)に内大臣に任じられました。
後に梨木神社の祭神として祀られました。

ここでは直衣(のおし)姿です。

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中山忠能(なかやまただやす)

明治天皇御実母の父君。

大納言でしたが辞した後に輔弼(ほひつ 天皇の行政を直接助ける職)の大任につき従一位に叙せられました。

ここでは小直衣(このおし)姿です。

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平野国臣(ひらのくにおみ)

福岡藩士。

攘夷派志士として奔走し、倒幕論を広めましたが、寺田屋事件で失敗し投獄されました。

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